イマジナリーエネミー

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たまに権利の関係なのか、再生できないシーンがあります。

 

新聞も取れたらいいのですが、なかなか読む時間がないですね。

 

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某氏のブログを読んだら、よくない〇〇〇と自分が分断されているという内容でした。

 

それを受けて連想したのは、イマジナリーエネミーです。

 

私は時々、家庭内不和がある人のことを想像します。

 

配偶者に暴力を受けている人もいる。

お金が全くない人もいる。

配偶者が突然ギャンブルにハマるかもしれない。

突然病気になるかもしれない。

 

これらは確かにありうることで、一部分では当事者と話をしたことがありますが、大部分では事実でない妄想でしか認識していません。これは事実ではないという意味ではなく、私の認識では三次情報以下ということです。

 

そのため、不特定多数のありうる不運として、時々口にします。

 

そうならない為に、こう行動しよう。

そうなった時の為に、これを備えておこう。

こうなるかもしれないから、そうでない今に感謝しよう。

 

あさのあつこ氏の作品の中に「同情と憐憫は紙一重だ」とあり、深く共感しました。

ゆえに自分が同情しているのかという点には自覚的でありたいと思っています。先述したことを同情と捉える場合もあるでしょうけれど、同情でないとして話を進めさせてください。

 

イマジナリーエネミーは、桃太郎の鬼のような概念として存在します。いつ襲ってくるか分からない敵であり、現に誰かが戦っている場合があります。

 

イマジナリーエネミーは現実をモデルにしていますが現実ではなく、私の周りの人からも同じように見えているわけではありません。だからたまには、イマジナリーエネミーなどないかのように、目の前のことだけに集中して人生を生きる必要があると思うのです。

 

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風呂は私の人生において重要なことです。

 

人事を尽くして天命を待つ。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。